パラワン諸島は周辺の島々1880島以上の美しい島の集合体です。フィリピンでの開発は1950年代から始められており、ラストフロンティアとも呼ばれております。空の上からの眺めでも地形や植生、海と陸地のはざまのマングローブの状況、川の蛇行の様子が観察できます。
パラワン諸島は周辺の島々1880島以上の美しい島の集合体です。フィリピンでの開発は1950年代から始められており、ラストフロンティアとも呼ばれております。空の上からの眺めでも地形や植生、海と陸地のはざまのマングローブの状況、川の蛇行の様子が観察できます。
1200万人のメガロポリスManilaへ大使館に用事があって2021年8月3日出かけましたがCOVID-19のお陰で3か月半マニラの妹たちの家で生活しました。おかげでマニラ周辺のリゾートへ行くことができました。その一つ、ウニサンビーチリゾートはマニラから南へ5時間ぐらいの素朴なビーチリゾート。沖合いにマリンドケ島が見られました。
フィリピンのラストフロンティアと呼ばれているパラワンも開発が徐々に進み、サスティナブルな領域が少なくなりつつあることは事実です。最近出かけたまだ素朴なビーチをご紹介します。
大阪からのお友達とビーチでランチ~大変なご馳走です!
1980年初めてマニラを訪れての印象と2021年現在のマニラはまるで異次元の世界のように感じます。古いマニラと新しいマニラが程よく調和しつつあります。血の通った下町情緒の空間と近未来の空間が融合した世界でCOVID-19のロックダウウンのお陰でマニラの妹たちのファミリーと2か月と12日過ごしています。
タガイタイの世界に誇るリゾート、マニラのベニス商業モール、近未来都市ボニファシオグロバルシティ、リゾート空間オカダマニラのカジノとホテル、マニラ湾沿いの黄昏の憩いの広場等を訪れました。
フィリピンの調和のとれた進歩は、世界最先端を行く力がいくつもあり今日に至って醸成されたものと思われます。
Ⅰ、フィリピン人の英語力
Ⅱ、コンピューター処理能力
Ⅲ、英語能力に基づく
海外で働く1000万人のネットワーく
Ⅳ、豊富な労働力
Ⅴ、税制
Ⅵ、経済成長率の高さ
Ⅶ、平均年齢24歳の若い国
他にもたくさんありますが何れも日本にはないものばかりです。さあ、それでは僕の見たマニラ周辺の世界をご覧くださいませ。
みなさんが一番ご存知のバスク民族は1549年日本へ最初にキリスト教を布教したイエズス会宣教師聖フランシスコザビエル、スペイン語ではフランシスコハビエルでありバスク地方のハビエル城の7番目の王子様。バスク民族は冒険家、政治家、社会革命家、船員等が多く南米へ移住したバスク民族では、ドクター、作家 革命家、政治家として有名なエルネスト、チェ、ゲバラ、エビータことエヴァペロン、ウルグアイの世界一貧しいがここと豊かな大統領として知られているホセムヒカ等々南米はまさにバスク民族の世界といえましょう。
フィリピンとバスク民族との関わりは世界一周中のマゼラン船団が1821年セブ島へ寄港マゼランは其処で死亡、そのあとを引き継いで世界一周を達成したのがバスク人ファンセバスチャンエルカーノほか17人の船員うち2名はバスク人バスク人は勇敢かつ忍耐力もあるエリートである。その後は多くのバスク人たちの新天地とフィリピンはなったのでしょう。バスク系政治家、財閥を生むこととなった、レがスピ、アヤラ財閥,アラネタ財団,あぼいてぃす財閥,ファンミゲール、そのた
当方はかって”ペンションぐらっツアーの経営者であったころ多くの外国人学生を雇用して彼らへの学資を提供したその中の一人がボリビアからの留学生ホセイバラ=Jose Ybarra バスク系のボリビア人であり、面白いことにフィリピンの英雄、医者、作家、詩人、画家、政治家、革命家ホセリサールはペンネームをJose Ybarra ホセイバラと称したこともあるようで。何らかのバスク民族の血を引いているのであろう。バスク民族と客家民族のが流れていたフィリピンの英雄。フィリピンはまさに客家民族とバスク民族の融合した優れた国民であろうかと思います。
因みにわが連れ添いもハビエル、バスク民族の幾分かの血液が流れているのでしょうね。
どこでも人気者ホセイバラとモンゴルのゲル
みなさんが一番ご存知のバスク民族は1549年日本へ最初にキリスト教を布教したイエズス会宣教師聖フランシスコザビエル、スペイン語ではフランシスコハビエルでありバスク地方のハビエル城の7番目の王子様。バスク民族は冒険家、政治家、社会革命家、船員等が多く南米へ移住したバスク民族では、ドクター、作家 革命家、政治家として有名なエルネスト、チェ、ゲバラ、エビータことエヴァペロン、ウルグアイの世界一貧しいがここと豊かな大統領として知られているホセムヒカ等々南米はまさにバスク民族の世界といえましょう。
フィリピンとバスク民族との関わりは世界一周中のマゼラン船団が1821年セブ島へ寄港マゼランは其処で死亡、そのあとを引き継いで世界一周を達成したのがバスク人ファンセバスチャンエルカーノほか17人の船員うち2名はバスク人バスク人は勇敢かつ忍耐力もあるエリートである。その後は多くのバスク人たちの新天地とフィリピンはなったのでしょう。バスク系政治家、財閥を生むこととなった、レがスピ、アヤラ財閥,アラネタ財団,あぼいてぃす財閥,ファンミゲール、そのた
当方はかって”ペンションぐらっツアーの経営者であったころ多くの外国人学生を雇用して彼らへの学資を提供したその中の一人がボリビアからの留学生ホセイバラ=Jose Ybarra バスク系のボリビア人であり、面白いことにフィリピンの英雄、医者、作家、詩人、画家、政治家、革命家ホセリサールはペンネームをJose Ybarra ホセイバラと称したこともあるようで。何らかのバスク民族の血を引いているのであろう。バスク民族と客家民族のが流れていたフィリピンの英雄。フィリピンはまさに客家民族とバスク民族の融合した優れた国民であろうかと思います。
因みにわが連れ添いもハビエル、バスク民族の幾分かの血液が流れているのでしょうね。
どこでも人気者ホセイバラとモンゴルのゲル
パラワンへ移住して4年、インターネットで多くのころが学べる。こちらには”タボンケーブ”4万年前の人類の生息した洞窟もあり、7万年~1万4千年前まで存在したスンダ大陸、稲の期限の地等々もあり古代史に一番興味を持つようになった。
最近ではDNAミトコンドリアの解析等がコンプーターの進歩と相まって解読されたり、人工衛星からの探索、発掘技術や道具の進歩が著しいことから新しい発見の時代ともいえます。
ギルガメッシュ叙事詩はBC2100年以前、旧約聖書以前であるし、ギョベクリテぺ遺跡はBC1万年~BC1マン2千年前文明は、シュメール文明以前であり、スンダランド7万年。~1万4千年は長江文明BC4千年~6千年以前でスンダ大陸はモンゴロイド揺籃の地ともいわれています。
人類は、7万年まえ脳が突然変異を起こしてから現代にいたるまでそんなに大きな変化はないようでギョベクリテぺ遺跡の建築は現代以上の完成度を誇っているようです。エジプトのピラミッドも同様でありますが。
これは単なるエッセイです、あと20年ぐらいするとこれらが教科書に載ってくることでしょう。この記事に合わせ自ら旅してとらえた関連の写真と現代生きるパラワンの遺跡と紹介させていただきます。