grazzano2’s blog~まささん&メーベスの冒険

学生時代””446日間ヒッチハイクで世界一周””その後日本でペンショングラツァーノを2017年まで経営する傍らフィリピンで””南海の楽園探し””の旅を15回、3年まえ言語学研究者メーベスと出会い昨年結婚しました。現在、南シナ海に浮かぶ””エメラルドの首飾り””パラワン島””のプエルトプリンセサに居を構え、メーベス研究を援助したり””自然保護活動””貧しい若者たちの支援活動””をしています。その様子の一端をこのブログやfacebook masaaki miyake1で皆さんにご紹介していきます。

スペイン北東部のバスク民族とフィリピンの繋がり

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バスク地方パンプローナの革製のワイン水筒


みなさんが一番ご存知のバスク民族は1549年日本へ最初にキリスト教を布教したイエズス会宣教師聖フランシスコザビエル、スペイン語ではフランシスコハビエルでありバスク地方のハビエル城の7番目の王子様。バスク民族は冒険家、政治家、社会革命家、船員等が多く南米へ移住したバスク民族では、ドクター、作家 革命家、政治家として有名なエルネスト、チェ、ゲバラ、エビータことエヴァペロン、ウルグアイの世界一貧しいがここと豊かな大統領として知られているホセムヒカ等々南米はまさにバスク民族の世界といえましょう。

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バスク地方にあるフランシスコザビエルの城

フィリピンとバスク民族との関わりは世界一周中のマゼラン船団が1821年セブ島へ寄港マゼランは其処で死亡、そのあとを引き継いで世界一周を達成したのがバスク人ファンセバスチャンエルカーノほか17人の船員うち2名はバスク人バスク人は勇敢かつ忍耐力もあるエリートである。その後は多くのバスク人たちの新天地とフィリピンはなったのでしょう。バスク系政治家、財閥を生むこととなった、レがスピ、アヤラ財閥,アラネタ財団,あぼいてぃす財閥,ファンミゲール、そのた 

 

当方はかって”ペンションぐらっツアーの経営者であったころ多くの外国人学生を雇用して彼らへの学資を提供したその中の一人がボリビアからの留学生ホセイバラ=Jose Ybarra バスク系のボリビア人であり、面白いことにフィリピンの英雄、医者、作家、詩人、画家、政治家、革命家ホセリサールはペンネームをJose Ybarra ホセイバラと称したこともあるようで。何らかのバスク民族の血を引いているのであろう。バスク民族と客家民族のが流れていたフィリピンの英雄。フィリピンはまさに客家民族とバスク民族の融合した優れた国民であろうかと思います。

 

因みにわが連れ添いもハビエル、バスク民族の幾分かの血液が流れているのでしょうね。

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我がペンションで働いたボリビア留学生、バスク人ホセイバラ、Jose Ybarra

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どこでも人気者ホセイバラとモンゴルのゲル

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一番尊敬できるフィリピンの英雄ホセリサール、Jose Ybarra というペンネームもある

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バスク地方の首都、パンプローナ制の皮の水稲