古代ギリシャでは””アルカディア~理想郷””牧人の楽園””という風な言葉を生んでいる。東洋では陶淵明が4世紀に””桃花源記””で桃源郷、理想郷にふれている。英国ではトーマスモアが””ユートピア””~理想郷、””どこにもない世界””について記している。ジェームズヒルトンは””シャングリラ””を表し現代中国はそれを地名にして観光地を創造している。キリスト教は””エデンの園””を創り、僕は今、古代スンダの楽園に住んでいる。
僕は、青年時代に読んだサマーセットモームの南海ものの一連の作品に憧れたり、映画の世界で見た美しい島を探し始めた。グアム、サイパン、ハワイ、バリ、台湾、小笠原、五島列島等を冒険したのちにフィリピンの70の島々を訪れてみた。島や人とのすばらしい出会いを信じて。
僕の云う現代の楽園とは、美しく、喜びも悲しみも生も死もある世界である。人々は自給自足の生活で生きられる世界。栽培植物は万能植物、実も葉も幹も枝も人間生活に役立つ、例えばバナナ、椰子これだけでも衣食住を賄えますが他に水田、牛、豚、鶏、ヤギ等を飼う、糞尿は植物の肥料にもなる。海に面しているか近ければ魚、貝をもとれましょう。今年4月、イースター前後フィリピンのど真ん中、連れ添いの郷里ロンブロン州タブラス島を訪ねた。その時やっとこれこそがその楽園という場所が見える丘の上に行くことができたのである。もちろん、そこの生活はまだよく観察できていないが僕の楽園の定義とマッチしていることは確かである。このような場所は、フィリピンには万とあることでしょう。