イエズス会キリスト教は1534年創設、その中心は、イグナシオロヨラであり日本へキリスト教を1549年にもたらしたフランシスコザビエルであった。このお二人はともにスペイン北東部バスク人であり、ハビエル城、ロヨラ城のプリンスでありパリ大学の最優秀な留学生でもあった。
日本に最初にもたらされたクリスチャンニズムは従ってイエズス会カトリシズムでありフィリピンへ渡った戦国大名高山右近や天草四郎などもなお連ねています。
フィリピンへの最初のクリスチャ二ティはマゼランであり世界で最初に世界一周したファンセバスチャンエルカーノ、バスク人であった。
イエズス会キリスト教は、当時の最高の頭脳集団でもあり現代においても多数の大学や研究機関を運営しています。因みにフィリピンではアテネオデマニラ大学、日本では上智大学といった最優秀な大学を運営しています。現、266代ローマ教皇フランシスコは史上初めてのイエズス会出身であり南米アルゼンチン出身のローマ教皇です。
南米といえば多くのバスク人が移住して政治家、アーティストなども活躍しております。因みにエルネストチェゲバラ、エバペロン、パラグアイ大統領ホセムヒカ、チリの詩人ラルフネルーダ他ほとんどの南米諸国の大統領として活躍していました。南米へは800万人のバスク系民族が居住しているようです。このフィリピンにおいても我が細君のハビエル家は兎も角としても、アヤラ,アラネタほかの財閥、フィリピン最初の総督レがスピを生み、本国バスクではサラサーテ、ボレロなどの作曲家、作家、ノーベル化学賞の受賞者、少ない民族でありますが優れた人々を排出しています。
スペイン北部には15万年前ネアンデルタール人、35000年前にはティトブスティーリョ洞窟やアルタミラ洞窟他の絵画芸術。
11世紀には捕鯨、操船技術等の先進定民族であり、のちの対航海時代や新大陸発見時代の立役者がバスク人であった。生物、動植物にも多くの関心を持ち単なる冒険だけでなく学術、芸術家、冒険家としてのイエズス会宣教師として南北アメリカ大陸で活躍したようです。因みにパションフルーツ時計草はキリスト受難の花としてイエズス会宣教師により世界へもたらされたようです。
イエズス会キリスト教、バスク人の勇気と才能が世界を変えていった様ですねえ!フィリピンへ来てこれらの事実を知りフィリピンという国に感謝しております。