生まれた家には18歳高校まで18歳大学生活は京都で。世界一周して帰り大学を卒業し他後、大阪や潮岬で働き24歳で再び郷里。46歳で牛窓町で”ペンショングラツァーノと広場を開業。20017年ペンションを廃業してフィリピン共和国パラワン島へ移住。日本時代の思い出の我が家3つをご紹介します。God Bless All !
パラワンへ移住して6年余りが過ぎようとしています。
パートナーのメリーベス ガバルドンハビエルはパラワン州立大学の英語教師、来年早々にはリタイアーして執筆活動や野菜や果物の作りをするそうです。
わたくしは7年前まで日本で”グラツァーノという名のペンション広場を経営、運営しておりました傍ら15回のフィリピンで”南海の楽園探し”という冒険をやっておりました。フィリピンでは70以上の島を訪れております。一方、日本のペンションでは世界から40か国の若者が訪れ、15か国の若者が働いて国際交流もしておりました。こちらではメーベスと共にいろいろな体験、珍しい花や果物や人々に出会い感動しております。
その様子をfacebook,twitter,Linkin ,Youtube 等々でも公開しております。また、最近は考古学、人類学、民族学、スンダ大陸、ギョベクリテぺの遺跡、その他多くの世界史を変えるような発見が相次いでいます。それやこれやでフィリピンの6年間があっという間に過ぎてしまいました。パラワンへ移住してよかったなあと思っています。
この島へはヨーロッパやアメリカやアジア各地からも多くの皆さん、老いも若きもそれぞれの興味に合わせ楽しんでいます。
パラワンへ移住して6年余りが過ぎようとしています。
パートナーのメリーベス ガバルドンハビエルはパラワン州立大学の英語教師、来年早々にはリタイアーして執筆活動や野菜や果物の作りをするそうです。
わたくしは7年前まで日本で”グラツァーノという名のペンション広場を経営、運営しておりました傍ら15回のフィリピンで”南海の楽園探し”という冒険をやっておりました。フィリピンでは70以上の島を訪れております。一方、日本のペンションでは世界から40か国の若者が訪れ、15か国の若者が働いて国際交流もしておりました。こちらではメーベスと共にいろいろな体験、珍しい花や果物や人々に出会い感動しております。
その様子をfacebook,twitter,Linkin ,Youtube 等々でも公開しております。また、最近は考古学、人類学、民族学、スンダ大陸、ギョベクリテぺの遺跡、その他多くの世界史を変えるような発見が相次いでいます。それやこれやでフィリピンの6年間があっという間に過ぎてしまいました。パラワンへ移住してよかったなあと思っています。
この島へはヨーロッパやアメリカやアジア各地からも多くの皆さん、老いも若きもそれぞれの興味に合わせ楽しんでいます。
イエズス会キリスト教は1534年創設、その中心は、イグナシオロヨラであり日本へキリスト教を1549年にもたらしたフランシスコザビエルであった。このお二人はともにスペイン北東部バスク人であり、ハビエル城、ロヨラ城のプリンスでありパリ大学の最優秀な留学生でもあった。
日本に最初にもたらされたクリスチャンニズムは従ってイエズス会カトリシズムでありフィリピンへ渡った戦国大名高山右近や天草四郎などもなお連ねています。
フィリピンへの最初のクリスチャ二ティはマゼランであり世界で最初に世界一周したファンセバスチャンエルカーノ、バスク人であった。
イエズス会キリスト教は、当時の最高の頭脳集団でもあり現代においても多数の大学や研究機関を運営しています。因みにフィリピンではアテネオデマニラ大学、日本では上智大学といった最優秀な大学を運営しています。現、266代ローマ教皇フランシスコは史上初めてのイエズス会出身であり南米アルゼンチン出身のローマ教皇です。
南米といえば多くのバスク人が移住して政治家、アーティストなども活躍しております。因みにエルネストチェゲバラ、エバペロン、パラグアイ大統領ホセムヒカ、チリの詩人ラルフネルーダ他ほとんどの南米諸国の大統領として活躍していました。南米へは800万人のバスク系民族が居住しているようです。このフィリピンにおいても我が細君のハビエル家は兎も角としても、アヤラ,アラネタほかの財閥、フィリピン最初の総督レがスピを生み、本国バスクではサラサーテ、ボレロなどの作曲家、作家、ノーベル化学賞の受賞者、少ない民族でありますが優れた人々を排出しています。
スペイン北部には15万年前ネアンデルタール人、35000年前にはティトブスティーリョ洞窟やアルタミラ洞窟他の絵画芸術。
11世紀には捕鯨、操船技術等の先進定民族であり、のちの対航海時代や新大陸発見時代の立役者がバスク人であった。生物、動植物にも多くの関心を持ち単なる冒険だけでなく学術、芸術家、冒険家としてのイエズス会宣教師として南北アメリカ大陸で活躍したようです。因みにパションフルーツ時計草はキリスト受難の花としてイエズス会宣教師により世界へもたらされたようです。
イエズス会キリスト教、バスク人の勇気と才能が世界を変えていった様ですねえ!フィリピンへ来てこれらの事実を知りフィリピンという国に感謝しております。
パラワンへ移住して5年半が過ぎています。その間世界では様々な不幸に見舞われており地球は、世界の人々の未来はどうなることでしょう?ここパラワンでもその波動は緩慢に伝わってきております。
発展と自然保護との調和はなかなかとりにくいもの、パラワンでもインフラの整備、教育環境の整備が着実に進められています。
さて我が家では、エレファントフットヤムの珍しい花が咲いたりパッションフルーツやパパイヤ、バナナ、カミヤス等々熱帯の果物が収穫できるようになっております。家の周囲の遠近景、近くのリゾートビーチやナプサンのハビエル家(嫁の一族)ナプサンのプライベートビーチ等の様子をご覧いただければ幸いです。~ビデオとしてまとめております。
一度文明の味を知ると人類は自然の中では生活できないものなのでしょうか。パラワンには4万年前の人類の生息地タボンケーブがあります。現代でも狩猟採集生活の民族も
いますし、焼畑農業で生活しているものもあれば様々な生活スタイルが見られます。
ヤシ、キャッサバ、バナナ、魚,鶏、ヤシ酒があれば確かに生活ができるようです。バラバックの南端、インだラワン滝の周辺の生活をご紹介します。